愛しい愛しいこの子は、大切な俺の愛の証だ。



たとえどんなに辛くても、君が傍に居るのなら





 俺には4歳年下の妹がいる。名前は冬香といって、その名の通り、冬に生まれた。
 妹は俺と違って可愛らしい子だった。頭もよくて、綺麗で、家事も得意で、俺の自慢の妹だった。
 妹は加護欲を誘う存在だった。普段はしっかりしてるのに、妙なところで抜けていて、そんなところも可愛かった。


 いつからだろうか、彼女を『妹』として見れなくなったのは。
「お前の妹可愛いよな」
 そう言われる度に、怒りでどうかしそうになったのは。


「私なんかといないで友達と遊んだら?」
 何を思ったのか、妹は急に言い出した。彼女はいつも家でこうして俺が一緒に居るのを不思議に思ったのかもしれない。
「私なんか、なんて言うなよ」
 妹は自分に自信を持たない。俺が皆に優秀だと思われている所為かもしれない。でも、俺は別に万能じゃない。いつも努力してきたんだ。

 冬香の自慢になれるように。冬香に好かれる為に。

 ただ、それだけの為に俺は努力してきたんだ。
「それに、俺は冬香と一緒にいたいんだ」
 他の誰でもない、君だけと。
「冬香が大好きだからね」
 俺がそう言うと、冬香は嬉しそうに微笑んだ。
「私もお兄ちゃんが大好き」
 違うよ。俺とお前の『好き』は違うんだ。俺はお前を一人の女として見てるんだよ。


 愛してる。


 その一言が言えたら、どんなに楽だろうか。
 俺はただ、冬香に笑い返す事しか出来なかった。







 このままじゃ冬香をいつか傷つけると確信した時、俺は一人暮らしを始めた。冬香と離れるのは想像以上に辛かった。でも、しかたない。

 兄妹は、いつか離れてしまうものなのだから。

 だが、俺のそんな決心は、お節介な親の所為で全て無駄になった。
「お父さん達がお兄ちゃんの様子を見て来いって」
 ――マジかよ。何で連絡しないんだよ、あの親。
「お兄ちゃんを驚かせたかったらしいよ」
 ガキじゃあるまいし、本当に何がしたいんだよ、あの人達は。
 ため息を吐きたくなるのを堪えつつ、俺はホットココアを作った。昔から冬香が好きだったものだ。――まあ、今はどうか分からないが、好きだったものが飲めなくなる事もないだろう。
 冬香にホットココアを渡すと、嬉しそうに微笑んだ。どうやらまだ好きみたいだ。よかった。
 ――あとは冬香が帰るのを待つだけだ。それまで優しい兄でいればいい。
 が、今度は冬香自身が爆弾を落とした。
「今日はここに泊めてね」
「え……」
 俺は困惑の顔を隠せなかった。冬香は俺がそんな態度をとると思わなかったのか、不安げな顔で「だめ?」と訊いてきた。上目使いのそれを俺は直視できずに言葉を濁した。
 しかし、そんな俺に、妹は何を思ったのか、とんでもない事を言い出した。
「もしかして、恋人がいるとか?」
 俺は慌てて言った。
「違う! 今まで彼女がいた事なんかない!」
「ええ!?」
 妹は心底意外そうに驚いた。それもそうだ。俺ももう大人だから、それなりに女を作っているべきなのだろう。でも、俺はどの女も無理なのだ。


 お前じゃなくちゃ。


「ほ、ほんとに?」
「ほんとだ」
 妹は信じられないようで、呟いた。
「何で?」
 俺はその問いに固まった。
 お前が言うのか? お前自身が原因なのに?
 なぁ、どうすれば分かってくれる?
 好きだ。好きなんて言葉じゃな足りないくらいに好きなんだ。
 じゃなければ、妹を女として見れるはずがない。
 ――もう駄目だ。限界だ。







 どれくらいそのままだったのか分からない。沈黙を破ったのは俺だった。
「何でだと思う?」
 冬香は困惑していた。それもそうだろう。ふざけて言われるならまだしも、真剣な目で問われているのだから。
 それでもなんとか答えを出そうと懸命に考えている。
 その姿すらも愛おしい。
「誰か……ずっと想ってる人がいるとか……」
 そう言うと、冬香は気まずくなったのか、膝の上に置いてある自分の手に視線を移した。
 そのとおりだよ、冬香。俺にはずっと想い人がいるんだ。
 手を伸ばしても決して届く事のない、もっとも身近な、俺の想い人。
 俺はずっと冬香を見つめていた。視線を感じたのか、冬香が顔を上げる。


 ――目が合った瞬間、いろんな感情が流れ出した。


 自分でも気付かないうちに、口が動いていた。
「俺が誰とも付き合わないのは」
 俺は更に冬香に近づいて、座っているソファへと押し倒した。
「お前の所為だよ」
 そこでやっと気付いたのか、冬香の目が混乱と恐怖の色に染まる。
「な……なんで……?」
 冬香から出てきた言葉は、掻き消えそうなほど、か細かった。
 そんな冬香に俺はいっそう笑みを深める。
「お前が好きだからだよ。……冬香」
 それを聞いた妹の顔は、俺が見た事のない、女の顔をしていた。







 起きた時、冬香はまだ眠っていた。
 ふつふつと、罪悪感が沸いてくる。
 冬香にとって、実の兄に犯されるというのは、恐怖と悲しみを産み付けられた事だろう。
 きっと一生消えない傷になるだろう。

 ――でも、止まらなかったんだ。
 あの『女』の顔を見せた冬香を見たら、どうしても止まらなかったんだ。
 きっといつか他の男にその顔を見せるのだろう。
 他の男に、身も心も捧げるんだろう。
 ならば――せめて、初めては俺が奪いたい。
 そう思ってしまったんだ。
「ごめんな」
 そう呟いて、その唇に、最後になるだろう口付けを交わし、俺は寝室を出ていった。







 食事を作り終わった時、冬香が体を引きずるようにして起きてきた。
 まだ呆然としたまま、席に着く。
 俺は水を持って冬香に渡した。冬香はそれを受け取り、一気に飲み干した。やはり、喉が渇いていたようだ。


 ごめんな。


 俺がご飯を勧めると、冬香は返事もしないで食べ始めた。そういえば、冬香の料理を食べさせるのは、今日が初めてだ。
 といっても、とても感想なんか聞ける状態ではないけれど。
 俺は自分を嘲笑うかのように笑った。
 しかし、冬香の口からはポツリと言葉が漏れた。
「おいしい……」
 俺は冬香を見た。
 その様子はまだぼんやりとしていて、どうやら無意識に発した言葉のようだった。
 しかし、俺はそんな彼女にまた想いが込み上げる。


 ああ、やっぱり好きだ。







 冬香が家を出るとき、俺はひたすら謝った。
 「ごめん」


 ごめん。それでも好きなんだ。――と。


 冬香はそれに答えず、ぼんやりしたまま帰っていった。







 きっと彼女がここに来る事はもうないだろう。
 きっと彼女の顔を見る事はもうないだろう。
 それが悲しくて、悔しくて、俺は無性に泣けてきた。







 だが、転機は突然としてやってくるものだ。
 妹が再びやって来た。
 俺はまたココアを淹れる。
 ――甘くて、ほろ苦い香りが立ち込めた。

「どうした?」
 冬香が怯えないように、俺は優しく尋ねた。彼女はあの時の様子が嘘のように、はっきりと意思を持った目で言った。
「子供が出来た」
 こども?
「え?」
 やっと出てきたのはその言葉だった。
 今、彼女は何と言った? 子供? 誰の? まさか、結婚報告に来たのか?
 混乱している俺に、冬香は呆れ顔で言った。
「だから、子供が出来たの。お兄ちゃんとの」
 彼女ははっきりと『俺の』子だと言った。それだけの確信があるという事は、他の男と関係を持たなかったという事だ。それが嬉しい。冬香は誰のものにもなっていないのだ。
 そして、彼女の腹には俺と彼女の間に出来た子がいる。

 これほど喜ばしい事があるだろうか。

「ごめん。俺としてはすごく嬉しいんだけど……いや、喜んじゃいけないんだよな……」
 日本は兄妹の間に子を生す事を禁じている。きっとこの子を産む事は出来ない。堕ろす事になるだろう。
 冬香にとっては、やはり苦痛でしかない。
 彼女は無駄話をする気はないのか、早くも本題に入ってきた。
「それで、どうするかなんだけど……」
「あ、ああ……」
 きっともう無理な事だから、少しの幸せに浸りたかったが、すぐに現実に戻され、俺は少し気が沈んだ。
 もう彼女の返事は分かっている。
 彼女は口を開いた。

「産もうと……思う……」
「え……?」
 彼女の口から出たのは、まったく予測していなかった事だった。
 びっくりしている俺に、彼女は繰り返した。
「だから、産むの」
「産むって……お前……」
「大丈夫。言わなきゃ分かんないよ。まあ、シングルマザーって事になっちゃうけど」
 俺は息を呑んだ。
「産んで……くれるのか……?」
 彼女はその言葉を待っていたように、にっこりと微笑む。
「もちろん」







 その後、無事元気な女の子が生まれた。心配した障害もない、丈夫な女の子だった。
 俺は嬉しくなってその子を抱き上げた。
 この子は俺の子だ。俺と冬香の。
 たとえ、公に言えなくても、この子の父親は俺なのだ。
 ずっと諦めていた存在が、今俺の腕の中にある。
 隣にはこの子の母親が、疲れ切った様子で横たわっていた。
 そんな彼女の俺は言った。
「頑張ったな」
 精一杯の労りを込めて。
 そして、耳元にそっと囁く。
「ありがとう」
 ありったけの感謝を込めて。
 彼女は嬉しそうに微笑んだ。







 きっとこれからいろいろな苦労が待っている。
 それでも俺はこの道を選ぶだろう。
 なぜならそこに彼女がいるから。







 愛しい愛しいこの子は、何が何でも守ってみせよう。
 それがどんなに罪深なことでも。
 俺の愛し子なのだから。







Copyright(c)2005-沢野いずみ, Inc. All rights reserved.