世間はバレンタインというものである。しかし残念なことに私はそんな日に家にいる。何故かって? 訊くのは野暮というものだ。まあ、ひとつの原因としては今日が日曜日だからである。惰性を愛している私は休日はゴロゴロしているのだ。
 そんな中インターホンがなった。ご飯が来たのか、と少し期待して開けた瞬間、目に入ったのは親友だった。次に硬い塊が顔に当たる。
「ふられたんだけどどういうこと!」
 まず、人の顔にチョコ(箱入り)を投げつけたことを謝って頂きたい。





予測不可能な甘味





「あいつ、何となく別の女のにおいしたのよ! 絶対二股かけられてた! くやしい!」
 仁子はそう言ってぬいぐるみをボスボス殴る。ああ、私のお気に入り……。
「しかもバレンタイン当日に別れてって何!? 少しは空気読めってのクソ男!」
 ああ、何て言葉遣いの悪い子なんだろう。そんな風に育てた覚えは……当然ながらないけれど。なぜだろう、彼女のお母様はまさに大和撫子なのに。
「それなのにあいつぅううー!」
 ぎゅううー、とぬいぐるみの首が絞められる。ああ、元彼の代わりに私のくまちゃんが絞殺されている……!
 疲れるし困るし早く帰って欲しいのが本音だが、さすがにかわいそうなのでそんなことはできない。愚痴ぐらいは聞いてやろう。そう思ったが、思った以上に彼女は元彼に怒っている。
 本人に直接やってやればよかったのに、と思いながら、無残なくまを見る。それと共に仁子がぼろぼろ泣いているのも目に入るので、重症だなあ、と思いとりあえず彼女の前にお茶を置いた。
「これでも飲んで、落ち着いたら?」
「うー」
 うねりながら彼女はお茶を一気にあおった。ああ、それ熱いのに。
「あっつぅぅぅーい!」
 案の定彼女は飲み干した瞬間すごい勢いで机を叩き、うめいた。
「だから言ったのに」
「いや、言ってないわよ!」
 そうだっけー、と言うと、そうよと怒声がとんできた。うん、こういう反応が返せるぐらいには元気になってきていると見ていいだろう。落ち着いたところで私なりのフォローを入れることにする。
「二股かけるような男に良いのなんていないんだから、早めに別れられてよかったじゃない」
「……でもバレンタインぐらいは一緒に過ごしたかった」
 確かにイベント時にふられるのは最悪である。やっぱりそんな奴は良い男じゃない。
「来年のバレンタインにもっといい男見つけて最高の思い出作ればいいじゃない」
「……そうかなあ」
「そうそう」
「……そうか、そうよね、もううじうじするなんて私らしくないわよね! カモン新しい恋!」
 がばっ、と起き上がり彼女はそう宣言する。立ち直りが早いのが彼女の長所である。
 友人が元気になってほっとしているところにインターホンがなった。誰だろう、と思いながら新しく仁子に注いでいたお茶を机においている間に、先に彼女のほうが玄関先に駆けていってしまった。元気になった彼女はアクティブである。しかし、ここは私の家なのだが。
 きゃー! という悲鳴が聞こえたので慌てて駆けつけると、玄関には震え上がる仁子と、黒頭巾がいた。ちなみに黒頭巾といっても男である。
「出た! 黒魔術師!」
 仁子いわく黒魔術師な彼は、私を見て、こんにちは、と頭を下げた。それにならって私も頭を下げる。
「こんにちは、大久保さん」







「確認なしに玄関を開けると危ないですよ」
 過去に私がされた注意をされている仁子は、ぶっきらぼうに「わかっているわよ」と答えた。大久保さん、まず人の家の来客を家主の許可なく迎えるなと教えてあげてほしい。
 仁子は大久保さんが怖いらしく、一定の距離を保っている。大久保さんもそれがわかるのか、必要以上には仁子に寄らない。
「あんた、何で来たのよ」
 威嚇する彼女に大久保さんは答えた。
「夕飯を作りに来たんです」
 夕飯、と言う単語に反応したのは私である。
「今日の夕飯はなんですか」
「和風ハンバーグにしようかと」
「楽しみにしています」
 大久保さんは頑張ります、と答えて笑った。顔は見えないのでそんな雰囲気がするだけなのだが。
「ちょっと待った!」
「何?」
 仁子が身を乗り出すので私はちょっと引くと、彼女は顔を引きつらせていた。
「本当に、本当ーに、二人で夕飯食べてるの……?」
「そうだけど……」
 ……何を今更。
「一緒に食べろって言ったの仁子じゃない」
 大久保さんは元々は仁子の家で夕飯を食べていたのに、嫌がって私の家で食べるようにしたのは仁子である。
「本当にするとは思ってなかった……」
「は?」
「本当だとしても1ヶ月ぐらいのもんだと思ってたのよ」
 大久保さんが私の家で夕飯を作るようになってからすでに半年は経過している。毎日美味しく頂いています、ありがとう大久保さん。
「美味しいんだもん」
「だもんって……ああ、なるほど、胃をつかまれちゃったわけか」
 何がなるほどなのだろうか。私のせいなのかいやでも、とごにょごにょ呟いているのが聞こえる。少し怖い。おびえていると目の前にカップが差し出された。
「どうぞ、あったかいですよ」
「あ、ありがとうございます」
「仁子さんも」
「気安く呼ぶんじゃないわよ魔術師め」
 とんでもなく失礼である、というか、ただ喧嘩を売っているようなものであるが、見た目が黒頭巾でもさすが大人、大久保さんは気にした様子もなく、夕食作りのために台所へ戻っていった。
 頂いた飲み物を口に含むと、甘い香りと風味が流れ込んだ。ホットチョコレートだ。バレンタインと縁の遠そうな大久保さんだが、きちんと覚えていたようである。美味しい。
「あの野郎バレンタインってこと思い出させやがって……」
 仁子には逆効果だったようだ。カップがビキビキいうのを見ながら、頑張れ大久保さん、と心の中で声援を送った。







 それからバレンタインデーには毎年ホットチョコレートを飲むようになるとは、まったく、世の中どうなるかわからないものである。






Copyright(c)2005-沢野いずみ, Inc. All rights reserved.