外をのぞくと、もう日が沈んでいた。




闇夜の放課後




 里佳は一人学校に残っていた。美術の課題が自分だけ終わっていなかったからだ。気づいた時には誰もおらず、窓の外はすっかり闇に染まっている。
「ん? なんだ、まだ残ってたのか。もう帰らないと学校から出れなくなるぞ」
 窓の外をぼーっと見ていた里佳は、いきなり声がして驚いた。振り向くと、ドアの傍には教師が立っていた。
 里佳はほっとして教師に向き直る。
「もう少ししたら帰りますよ」
「そうか? ならいいが。早くしろよ」
「はい」
 教師はそれだけ言うと美術室を出て行った。
 里佳は絵を描くのに集中して少し疲れたので、しばらく椅子に座って休んでいたが、外の暗さからして帰らないとまずいだろうと判断し、かばんを持って美術室を出た。
 廊下を歩いて階段を一階分下りた。美術室は二階にあるので、ひとつ下りればもう昇降口に出れる筈だった。
「……え?」
 下りた所には、再び美術室の標識が見えた。昇降口はどこにも見当たらない。
 うそ……。
 里佳は再び階段を駆け下りた。この校舎は三階建てなので、計算では必ず昇降口に出る。
 そして、彼女の目の前にあったのは――
「……音楽室……?」
 馬鹿な。音楽室は隣の校舎だ。こんな所にあるはずがない。
 しかし、現に里佳は音楽室の前にいる。
 里佳は再び階段を下りた。
 次にあったのは彼女の教室。そして、そこは本来三階にある。三階建ての建物を下りて、三階に着くはずがない。
 里佳は恐怖に駆られた。
 何度も何度も階段を下りる。
 生物室。家庭科室。保健室。一年三組。二年五組。校長室……
 何度も何度も駆け下りたが、出口は一向に見えない。
「どうなってるの?」
 もうひとつを除いて全部の部屋に出た。その部屋はどうやっても出てこない。もう他の部屋を何度も見た。
 その部屋とは職員室だ。
 さっき会った先生がいるかもしれない。そう思って懸命に階段を下りたが、一向に見える気配がない。
 いや、諦めては駄目だ。もう一度やってみよう。
 そう思って階段に足を掛けた。が、ふと疑問が沸いてきた。


 ――あんな先生、いたっけ?


 少なくとも、里佳の記憶にはない。
 それに……あの教師は、『学校から出られなくなる』と言っていなかっただろうか。
 まさか。そんな、あるわけない。
 里佳は目をつむって美術室のドアに手を掛けた。
 手が少し震える。

 ガラ――

 開けた。
 開けてしまった。
 里佳はおそるおそる目を開ける。
 そこに居たのは――


「先、せ、い……」
「ん? どうした?」
 さっきの教師だった。
 確かに美術室と書いてあったのに、中は職員室だった。
 里佳は何がなんだかわからなくなってきた。今自分が感じているのは恐怖なのか疑問なのか。
「その……帰りたいんですが……」
「ん?」
 振り向いた若い男教師に、やはり見覚えはなかった。
「なんで?」
「なんで……って」
 こんな時間まで学校に居たら、すぐに帰りたいと思うだろう。この教師は何を言っているのだ。
 教師は笑った。
「だって、帰る必要なんてないだろ?」
「は、い?」
 本当に何を言っているのだろうか。
「帰る必要はない、って……」
 心臓の音がうるさい。自分の声も聞こえないほどだ。
 教師はにやりと笑う。
「だって、今日からお前は『ここ』になるんだから」
 ここ?
 ここって……
 里佳の足が笑う。危険だと頭ではわかっているのに、身体は動かない。動けない。
 教師は真っ青な里佳の顔に口を寄せる。
「お前は学校とひとつになって、俺の同僚になるんだよ」

 よろしく、新任先生。


 そう教師が言ったのを最後に、心臓の音が聞こえなくなった。




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