いつもヘラヘラしてる女。
 それが俺が三谷清美に抱いている印象だった。
 ヘラヘラして、常に笑顔で、逆に言えばそれ以外の顔を授業中以外では見たことがない。授業中に見たときも、あの女の真顔を見て唖然としてしまったが、そりゃさすがに授業中ぐらい笑顔でなくなってくれないと、逆に怖いと後で思った。
 笑顔で本当の感情なんか読み取れない、読み取らせない、それを戦略的だと思ったのはいつからだろうと思って考えてみたら、はじめからだったと気づいた。
 気づいたときから俺は三谷清美に近づかないように心かけることにした。もともと接点もないし、無愛想な俺に話しかけるような奴は限られている。そのことに人知れず安堵した。
 だからこいつが目の前に現れたときには頭の中が真っ白になった。
「もう授業おわったよ、三木野和重くん」
 にっこり笑うこいつを見て自我を取り戻した俺は、反射的に後ろへ仰け反った。
「あらら、せっかく一人取り残されて可哀想な君を起こしてあげたって言うのに、それはないんじゃない?」
 にっこり笑って嫌味を言う女を無視して周りを見回してみる。夕暮れ時で茜色に染まる教室。俺とこいつ以外には誰も見当たらない。
「ねえ、話聞いてるの?」
「うるさい、猫かぶりはやめたのか、三谷清美」
「めったにしゃべらない無口くんだと思ってたけど、意外と言うじゃない、三木野和重くん」
 うるさいから仕方なしに口を開いた俺を、さも楽しげに三谷清美は見つめてきた。その顔に浮かぶ笑みが普段浮かべている笑みと別種であることは明らかだった。
「最低の褒め言葉をありがとう、と言うべきか」
「ええ、そう言ってくれると嬉しいわね。そういう意味で言ったんだもの」
 口調も普段の馬鹿っぽいしゃべりではなく、できる人間としたハキハキとしたしゃべりに変わっている。
「それが素か? よく普段あれだけ猫をかぶれるもんだな。褒めてやるよ」
「最低の褒め言葉をありがとう、と言っていくべきなのかしらね」
「ああ、そう取ってくれると嬉しいな」
「嫌味がとてもお上手なのね。普段はしゃべらないくせに」
「そっちこそ感情を操るのが上手いんだな。決して表には出さない」
 挑発的に笑う女に、俺は表情を変えずに言う。女は楽しそうな様子を隠そうとしない。
 三谷清美はスカートのポケットをごそごそと漁ると、俺の机に探し出したものを置いた。
「……何のつもりだ? 俺は甘党に見えるのか?」
「あれ、もしかして気づいてないの? 机の中を漁ってごらんなさい」
 子供に諭すように言う三谷清美をにらみつけながら、俺は自分の机を手探りで漁ってみる。教科書とは違う感触が確かにあった。俺はそれを引っ張り出す。
「……これは」
 手に取った二つのそれは、四角く、可愛らしくラッピングされていた。
「何だこれは、とか鈍感なフリするんじゃないわよ。チョコレートよ、チョコレート。ちなみにあんたが今持っているのは同じクラスの井上さんと菊池さんからだから。あんたが昼休みにお弁当食べてる間に入れてたわ」
 何でチョコレートが、とか思うほど俺は鈍感じゃない。こんな綺麗な包装紙に包まれたチョコレートをもらうのなんて、バレンタインデー以外にはありえない。少なくとも俺は。
「二月十四日か」
「そ、バレンタインデー」
「で、これは何だ?」
「まだ言う気? アメよ、アメ」
「商品名を訊いているんじゃない。何で今日のような日に、わざわざ俺にこれを渡しすのか、と聞いているんだ」
「興味があるから」
 三谷清美はけろっと言った。反対に俺は眉を寄せた。
「そんな怖い顔しないの。ただ、今まで私の本性見抜けた人っていなかったのよ。だから、なんでかなー、って興味があるだけ」
「そんなものでいちいち興味を持つな。別にただなんとなくわかっただけだ」
「だから、私はその『なんとなく』が知りたいんだってば」
 知りたいと言われても、俺自身わからない。
 何も応えられないでいると、三谷清美はさっさと自分のかばんを持って教室から出て行こうとした。
「おい」
 思わず呼び止めると、三谷清美はにっこりと笑った。
「あんたが私の本性を見抜いた理由を知るまで、しばらく付きまとうから。あ、ちなみにそれ三倍返しね」
 じゃーねー、と言って手を振って変える三谷清美を俺は呆然と見る。机の上にはアメ玉がひとつ。おそらく市販で一袋百円ほどで売っているアメだろう。
 これを三倍だったら三個わざわざ買って返せってのか。
 馬鹿馬鹿しい、と思いながら、俺はそのアメを口に含んだ。
 口中に広がる甘ったるさに三谷清美の顔を思い出して、俺は机を殴りつけた。




バレンタインとアメ玉







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