自分で自分を殺したくなることがあります。それは絶望感や悲観してのことではなく、ただただそこに存在している私という存在が憎く恨めしく、消し去ってしまいたいのです。望むのは自殺ではありません、それでは生ぬるい。もっと汚く、もっと残酷に自分を葬りたいのです。どうせなら赤にまみれ、肌と言えないものを身に纏い、そこの見えない濁り水に身を沈めたい。自分を綺麗なものとして死なせたくないのです。躯は嫌悪の対象になるのが好ましい。ああ、だけれど全てを成しえる前に、赤に染まるだけで出血死。それでは美しすぎるのです。なんて悲しいことでしょう。自分のもっとも望む死を迎えられない。誰かに頼めばできるのでしょう。ですが、それではいけないのです。私は私のこの手で己を殺したい。他の手は求めません。自分を汚していいのは自分だけ。それは私だけに認められた特権です。赤をください、黒をください、どうせならその二つを混ぜてください。さあ、素敵な色となるでしょう。望む色はこんな色。淡い色も、蛍光もいりません。素晴らしきは暗黒近い灰色世界。すべて黒では汚れが見えない。綺麗に映らない、だけれど、色も形も確認できる、それぐらいの光が素敵。黒は何色にも染ま?ない、それはあまりにも潔癖。白は染め上げられる、けれどもその美しさは損なわない。対照的な二色がもっとも近い形。私はそんなものはいらないのです。曖昧なものがいい、すべてはっきり隔てるのはあまりにも滑稽ではありませんか。真水もいけません。それなら泥を練りこんだ沼をください。決して浮き出て来れないように、深く深く、沈むのです。汚れた水に求められるなど、なんと幸せ。そこで私は朽ち果てる。想像するだけで愉悦します。
 私が望むのは汚れです。そしてそれを塗るのは自分以外認めません。だからあなたは論外です。ですが、私の汚染された死を見つめることを許しましょう。幸せでしょう?

「残酷ですね」




 なにを今更。







濁死







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