「と言う訳で、満月なので狼男になりました」
「山に帰れ」
a wolfman
明菜は激しいめまいに見舞われた。前にもこんな状態になったことがある。当然ながら目の前にいる物体のせいで。
明菜の目の前には、狼がいる。
ここは明菜の自室である。さらに言えばここは都内の両親がローン地獄になることを覚悟の上で建てた家だ。当然、狼なんか現れる場所ではない。
では、なぜいるのか。
明菜はもうそれを見たくなくて目をそらした。そして自分のベッドへ歩み寄り、ダイブする。ああ、やっぱふかふかで安心するなあ。遠い目をしてそう考える。人はこれを現実逃避という。しかし、そうだとわかっていても、明菜はそれをやめられない。むしろそのままどこかへ消えてしまいたい。
そのままうつ伏せでぼーっとしていると、いきなり上から重みがかかる。何かが乗っかって明菜をゆすっている。
何がゆすっているかわかっている明菜は、無視を決め込んだ。
「あーきーなーちゃーぁん」
呼ぶな。間延びさせて呼ぶな。
「あーきーなー、寝るなー」
起きている、起きているが、頼むからこのまま夢の世界へ行かせてくれ。
「あきなちゃんー、お兄ちゃんですよー」
「狼を兄に持った覚えはないわぁ!!」
思わず飛び起きてしまった。無理だ、夢の世界へ行くなんて不可能だ。これがいなくならない限り。
目の前には、狼になった義理の兄がいた。
認めたくない、認めたくないが、確かに狼は兄の声で話している。
なぜ兄はこうも変なものに変身するのだろうか。
明菜は目頭を押さえた。
「兄さん、この間は何になったんだっけ?」
「人魚だったな」
明菜の問いに兄は何でもない様子で答えた。むしろ懐かしげに。
明菜はさらに訊ねた。
「どうして今度は狼になってるの?」
「満月だから?」
満月で狼になるんだったらそこら辺狼まみれだ馬鹿野郎。
だが、兄は少なくともそう思ってるんだろう。月には魔力があるらしいからなー、とかほざいている。
帰れ、もう山に帰ってしまえ。
今の姿のままなら山で生きていけるだろう。毛がふさふさだし。牙があるし。
明菜は脳内で山へ送る段取りを決め始めた。
「明菜、助けてくれ」
無理だって。
明菜は痛む頭をどうすることもできない。山に帰す計画も、法律とかが厳しくて無理そうだし、保健所に引き取りに来てもらっても、そのまま殺されてしまうか、もしくはサーカスに売られそうだ。
そこで明菜は気付いた。
そうか、サーカスに売ればいいのかもしれない。
そうだ、しゃべるからそれだけで観客は喜ぶ。そして私はお金がもらえる。一石二鳥ではないかと、明菜はほくそ笑んだ。
兄は一瞬身震いした。人の姿であれば顔から血の気が引いたのがわかったであろうが、今は残念なことに毛むくじゃらの顔で、表情の変化はあまり見られない。
「……明菜さん、変なことを考えるのはやめて下さい」
明菜にっこりと微笑む。
「やだな、サーカスに売ろうなんて考えてないよ?」
「やっぱり考えてたー!」
兄は狼でありながら涙をこぼした。すごい、芸がこれで二つできる。やはり明菜はほくそ笑んだ。
兄はこのままではまずいと思ったのか、必死な形相で言った。
「俺がいなくなったら父さん倒れるぞ!」
……そうかもしれない。
明菜は脳内に父親を思い描いた。
母親はきっとぽわぽわしたまま「どうしましょうねー」とかのん気に言うことだろう。だが気が小さく弱い父親は、息子が行方不明になったらそれこそぶっ倒れることは間違いない。
明菜はサーカスに売るのを諦めてため息を吐いた。その様子に兄は安心したかのように、再び詰め寄る。
「ねえ、どうすればいいと思う?」
明菜は寝る体制に入った。
「ちょっと! 明菜さーん!」
兄が必死に明菜をゆする。明菜はうざったそうにそれを払った。
「あーもー、満月の夜だから狼になったって言うんなら、朝になれば直るでしょ」
そう言うと、兄は拍子抜けした顔をした後、閃いたようにこう言った。
「そうか! 確かにそうだよなあー、明菜頭良いー」
お前は悪すぎる、とは言わないでおいてあげた。
そして兄はそこにごろんと横たわる。おいここで寝るのかよ、と思ったが、精神的に疲れた明菜はそのまま眠ってしまった。
鳥が鳴いている。少し開けたカーテンから日差しが差し込む。今日も良い天気なようだ。
「あ、き、な」
誰かが自分のことを呼びながらゆすってくる。睡眠の邪魔をしないでほしい。
「ん……、なに……」
明菜は寝ぼけ眼で自分をゆすった人物を見つめる。
兄だった。
人の姿をした兄だった。
明菜はほっと息を吐いた。よかった、やっぱり昨日のあれは夢だったのだ。
「明菜、ごめん」
兄が急に謝ってきた。こんな早い時間に起こしたことに対してだろう、と思ったが、兄はある一点を指差した。
「昨日俺が寝たところ、毛まみれにしちゃった」
兄が指差した場所には、到底人の毛には似つかない、獣の毛が落ちていた。
もう山に帰りたい。
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