世間はバラ色だった。




非日常 〜バレンタイン編〜





 ハッピーバレンタイン。
 街を歩くとそんな声がどこからともなく耳に入ってやけにカップルの密着度も上がる日。そう、今日はバレンタインデーだった。ローマ皇帝が結婚を禁止したために結ばれることができない若者を見かねてひそかに結婚させていたバレンチノの逝去した日である。さらに言えば外国ではバレンタインデーは男性が女性に花などを贈る日であって、女性が男性にチョコを上げるのは日本の文化であり、製菓メーカーの陰謀だ。
「というわけで私が大野にチョコレートをあげる必要性はまったくない」
 それに私大野のこと好きじゃないしと付け足すと、親友は微妙な顔をした。
「……あんた、それ言うためにわざわざ調べたでしょ」
「……よくわかったね」
「いや、わかるでしょう。ま、どっちにしろあの状況じゃむりだろうけどね」
 千佳の視線の先には花に群がる蜂……じゃなくて大野に群がる女生徒たちの姿があった。あそこまでいくと妬みもないのだろう、男子が離れた場所からいいなあと呟いていた。
 大野はにこやかな笑顔で女生徒たちからチョコレートを受け取っている。前までは断っていたが、別にお返しを請求する人もいないので、もらっておけと私が言った。そしてそのチョコは私の食料になる。今年も豊富なようで、大層嬉しい。
 にまにましていたら千佳に気味悪がられた。ひどい。









 家に帰るとお目当てのものがリビングのテーブルの上に置かれていた。
 最高、バレンタイン最高。
 心の中で万歳をしながらチョコの方へと近寄っていく。何個も積み重なっている箱の中から有名メーカーの箱を一つ選んで開けて、滅多に食べれないそのチョコレートのにおいを嗅いだ。ああ、本当にバレンタインって最高だ。限定するなら日本のバレンタイン最高だ。外国のバレンタインもいいけど、私はチョコレートの方が何倍も嬉しい。
 厳選しながら貪っていると大野が隣に腰を下ろした。
「何? やっぱり食べたい?」
「いや、いいよ俺は。見てるだけで胸焼けしそうだ」
「だったら見なけりゃいいじゃない」
「そうなんだけどさあ」
 何だかなぁ、とぼやきながら大野は赤い紙に包まれたチョコレートを手にとって破くと、一粒口に含んだ。いや、食べてるじゃんか。
 食料が少し減って悲しくなったが、元々大野のものなので文句は言えない。私はとりあえず自分の分を食べることにした。
「華子さん」
「んー?」
「はい」
 そう言って目の前にチョコレートを差し出してくる大野。もう片方の手を見てみれば今度は青い包み紙が目に入った。さっきのはもう食べたのか、と思っていると大野があーんと言ったのでつい口を開けてしまった。ぽい、とチョコレートが放り込まれる。中々上等だ、いいところのだな。
 もごもごしてると大野がにこやかに言った。
「それ、俺からのバレンタインチョコね。ちゃんとわざわざ買ったんだよ?」
 まあ日ごろの感謝ってことで受け取って。
 そう言うと大野は青い包み紙ごと私にそのチョコレートを握らせた。
 大野の去っていったほうをしばし呆然と見ていたが、もらえるものはもらっておこうとそのチョコレートに手をつけた。









「で、お返しは三倍返しにするべきだと思う?」
 高級チョコの三倍返しってきついんだけど、と相談すると、親友は盛大にため息を吐いた。
「何で女がホワイトデーのお返しで悩んでるのよ」






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