この時期さえなければ、私はどんなに幸せだろう。




非日常 〜テスト編〜





 きた、ついにきた。私の大嫌いな時期が。
「来週からテストだぞー。みんな勉強しろよー」
 担任の気のない声が耳に痛い。


 きた、テスト期間。






「わからない……」
 手に汗が握る。不快だ。今すぐ手をぬぐって更に言うならこの額に浮かぶ冷や汗も拭ってしまいたい。でも、それは先にこの問題を解いてからだ。
 まず何がわからないって、そこを探すことからわからない。なに、私はどれができてどれができないの? いや、はっきり言うと全部できない? え、なに、もうテスト受ける必要なくない?
 あ、そうか、受けなきゃいいのか。あははは、いい考え。そんなことできるわけねえだろうが。
「華、声に出てる」
「声に出さなきゃやってられない心境というのがわかるか? 千佳くん」
「全然」
 親友はたまに冷たい。
 千佳のノートはすでに数ページ以上の数式が書いてある。対して私のノート。やっと一ページの三分の一に入ったところ。
「数学なんか滅んでしまえばいい……」
 数学嫌いは一度は口にしたであろう言葉を言うと、千佳は大げさにため息を吐いた。
「そんなこと言ってたらできるもんもできないでしょうが」
「できないもんはできないんだから仕方ないでしょうが」
 反論すると、千佳はとても冷たい目をした。私は素直に謝った。
 でも、できないもんはできないんだってば。
「だから、何度も言ってるじゃない。大野君に教えてもらいなさい」
 ひとつ屋根の下で住んでるんだから、と付け加えられる。
 ふと、同居人を思い出す。教室で常に女子に囲まれてるハーレム男。顔良し、頭良し、性格は……まあ置いておく。
 はっきり言って完璧男だ。そして私はそんな彼と色々訳あって同居している。ここは強調しておく。あくまで同居である。
「いや」
 私はきっぱりと言い放った。
 だって、あの完璧男に教わるのは癪なのだ。そんな悔しい思いはできればしたくない。
 千佳はふう、と息を吐いた。
「じゃああきらめなさい」
 それも嫌だ。






 私は今奴の部屋の前にいる。すべてのプライドを押しのけてノックする。
「あれ、華さんどうしたの? もしかして告白?」
 即座に踵を返した私の肩を、大野は少し慌てた様子で掴んだ。
「冗談だって。で、どうしたの?」
 その一言で私は数時間前に出来事を思い出した。
「先生に……」
「先生に?」
 大野は穏やかに聞き返す。私は一瞬詰まってから答えた。
「今度の数学のテストで赤点取ったら、保障してやれないぞ、って……」
 沈黙。
 痛い、この空間が痛い。重くてつぶれそうだ。
 やっと大野が口を開いた。
「華さん」
「はい」
「前回のテストの点数は?」
 一瞬ごまかそうかと思ったが、そんなことをしても意味がないことに気づき、素直に言いたくない点数を言った。再び沈黙が落ちた。
「華さん」
 大野が再び私を呼ぶ。
「はい」
 私は教師を前にした気持ちで返事をした。
「真剣に勉強しましょう」
「はい」
 とても真剣な目で言われた。






 結果、平均よりは下ではあるけれど、今までの私からしたらありえない点数を取った。担任の潤んだ瞳は一生忘れられそうにない。
「すごいじゃない、華もやればできるのねー」
 いや、ほとんど大野の力なんだけど。
 そう言うのもむなしいのであいまいに返事を返した。
「隈もすごいもんね。頑張ったんだねー」
 ああ、頑張ったとも、今までにないほどに頑張ったとも。予想以上に大野がスパルタだったとも! 気休めの時間もなかったとも!
 そう叫びたかったが、「まあね」とだけ返事を返した。




 家に帰ったら、今日の夕飯は大野の好物を作ってやろうと思った。





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