どうやら私は奴が絡むととことん不幸らしい。




非日常 〜彼女編〜





 大野幸人に彼女ができた。
 その噂が私の耳に届いたのは今さっきだ。
 彼女?
 あの猫かぶりで自分を見せない大野が彼女?
「ふーん?」
「あら、華は興味ないの?」
「まったく」
 実際大野に彼女ができようができまいが私にどうでもいい。むしろそのほうが私への被害が少なくなるかもしれない。うん、それはいいな。そうだ、いいことだ。大野に彼女ができるなんて素晴らしいじゃないか。これは祝ってやらねば。ケーキだ、ケーキを焼いてやろう。彼女には軽めのシフォンケーキを焼いてあげよう。大野にはなんでもいいか。むしろ顔面に思いっきりぶつけられるやつにしよう。よし、生クリームたっぷりのイチゴケーキでいこう。
 うんうん一人で納得している私に、友人は少し冷たい目をした。ひどい。
「もー、ちょっとは気になってもいいんじゃない? 大野くんの彼女だったんだから」
 いや、だって気にならないもんは気にならないし……ん? 今何か変な言葉が聞こえなかったか?
「あの、千佳さん。今のセリフ、もう一度言って頂いてよろしいでしょうか?」
「え、ちょっとは気にしてもいいんじゃない?」
「その後!」
「お、大野君の彼女だったんだから」
「それ!」
「な、何よ、もう」
 私の動揺ぶりに驚く千佳を無視して、私は更に詰め寄る。
「それ誰のこと?」
「誰って?」
「その大野の彼女だった人」
「誰って……あんたしかいないでしょ?」
 ……ああ、やっぱり。
 大野、あんたは私に悪いものばかり下さるんですね。
「は、華?」
 空を仰いで現実逃避したい気持ちに駆られた私を、千佳が呼ぶ。だが、もうそれすらどうでもいい。今の私はどうやって大野にデコピンを食らわすかを真剣に考えている最中だ。いや、シッペのほうが痛いか? うぅーん……どっちにしよう。
「千佳、じゃんけんしよう」
「はあ? あんたいきなりどうしたの」
「いいから。はい、じゃーんけーん」
「わわわ、待って待って」
 いきなりな私の提案に、千佳はしっかりと付き合ってくれる。あー、いい子だ。千佳は本当にいい子だ。お嫁に欲しい。本当に来てくれマジで。苦労させないから。
「はい、じゃあ再度ね。じゃーんけーん」
『ぽん!』
 私はグー。千佳はパー。
「デコピンか……」
「ちょっと、あんた本当にどうしたの?」
「気にしないで気にしないで。こっちの話だから」
 本気で心配し始めた千佳に、私は大丈夫だと何度も言う。言いながらデコピンをどうすればやつにできるか計画しているが。
 計画している私がショックでパニックを起こしていると勘違いした千佳は、なぐさめるようにこう言った。
「私は江藤さんより華のほうが可愛いと思うよ」
 江藤さん……ああ、あの才色兼備の江藤さんか。男選び放題でよく男が変わると評判の学校のマドンナ的存在の。
 普通に私より彼女のほうが魅力的だ。
「ありがとう千佳。でも比べる相手がすご過ぎて話にならないよ」
 そう言う私に、千佳が身を乗り出して必死に言う。
「そんなことないよ! 確かに江藤さんは美人だけど、お高くとまり過ぎなの! 華は可愛いし、性格いいもの!」
 うーん、褒めすぎじゃあないかなあ。
「あー、ありがとうありがとう」
「もー、本気にしてないでしょー!」
「だって私にしたら千佳のほうが可愛いもの」
 そう言うと、千佳は少し顔を赤くしたかと思うと抱きついてきた。
「あーもー! 本当に素でタラシなんだから! 大丈夫、もう大野君は江藤さんにあげちゃいな。私が華をお嫁にもらってあげるから!」
 あ、大野の彼女って江藤さんなんだ。私はお嫁に行くより、千佳をお嫁にもらいたいなあ。
「佐藤さん、人のもの取らないでくれない?」
 あ、真後ろから嫌な声が。いつも家で聞いてる嫌な声が。
「あ、大野君」
 噂をすれば何とやら。本人が出てきてしまった。
「……誰があんたのだ、誰が!」
「今村さん」
「即答すんな!」
 私はお前のものになったことは一度もない!
「そうよ大野君! 華はあなたのじゃないんだから」
 おおお、いいぞ! そうだ! もっと言ってやってくれ千佳!
「私のものよ!」
 ええええええええええええ!?
 そんな、すごい胸張られて言われてもさぁ!
「へぇ? そうなんだ?」
 大野は珍しく嘲笑うような表情をした。
「そうじゃないけど!」
 千佳が声を張り上げた。そのおかげで皆がこちらを注目する。しかし、目の前の二人は気にした様子もない。千佳に至っては、そんなこと気付いてもいないだろう。
 睨む千佳。余裕の表情の大野。ただ突っ立ってるだけの私。実に珍しい構図。普段は私が大野に突っかかるが、千佳と大野がケンカするなんてそう見られるものじゃない。てか、二人が話してる場面も見たことないし、私。
 それだけで珍しいのに、普段猫かぶって人のいい笑顔しか浮かべない大野が、人を小馬鹿にした表情をしている。珍しい、珍しすぎる。
 じりじりと熱いほどに睨み合っていた二人だが、急に千佳が反撃に出た。言われたままでは我慢できなかったのかもしれない。
「大体、大野君には彼女がいるじゃない!」
 その言葉に大野はきょとんとした。
「何それ」
 何それって……
「大野、あんたボケたの? 最近彼女できたんでしょ?」
 男子生徒の憧れの的の江藤さんをゲットしておいて、何言ってるんだ、この男。
 私が言うと、大野は形のいい眉を歪めた。
「俺、彼女なんていないけど?」
 へえ?
「え、って何? つまりはただの噂だったわけ?」
 そんな、たかが噂にこれほどまでの状況に陥ったってこと?あんまりだ。あんまりすぎる。
 聞いた途端に肩を落した私を見て、大野は急に嬉しそうな顔に変わった。
「なに、今村さんはそれを聞いて落ち込んでたの? 可愛いなあ」
 言いながら、私の肩に手を置いた。私は即座にそれを叩き落す。大野はひどいなあ、とか言いながらも嬉しそうだ。ムカつく。勘違い野郎はお前だ。
「だぁーれが落ち込んでたって? どっからそんな発想が出るんだ!」
「だってさっき元気なかったでしょ?」
「あれは元気なかったんじゃなくて、考えことしてたの!」
 あんたにデコピン食らわせるための。
 言葉には出せなかったが、心の中で一言添えた私に、大野は幸せモードの顔で言った。
「俺のこと考えてくれてたの? 嬉しいなあ」
 何こいつ。勘違いも大概にしろよ。おめでた過ぎるんだよ、どうなってんだ、その脳内。そうだと思ったら意地でも曲げねえってか。性質が悪いなあおい。
 もう何言っても無駄だと悟った私は、そのまま好きにさせておくことにした。もういい。家に帰ってデコピンできればそれでいい。
 しかし、千佳は違ったようだ。大声で言ってはいけないことを叫んでしまった。
「うそよ! だって本人が言ってたんだから!」
 本人?
 私は大野を見る。彼は首を横に振った。ということは――
「江藤さん?」
「そうよ」
 あっちゃあ。じゃあそれってもしかして、もしかしなくても。
「彼女本人が流したってこと?」
 最悪だ。こういうときに大野がどういうことをするのか安易に想像がつく。つくから嫌だ。
 案の定、大野はにこやかに笑う。
「そう、江藤さんね。わかった」
 言うや否や、さっさと去っていってしまった。残されたのは野次馬と私と千佳のみ。
「……私、まずいこと言った?」
 今更そう思っても遅いよ、千佳。




 ――ああ、どうか江藤さんに幸あれ。





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