今思えば、私は大野がのっけから気に入らなかった。
非日常 〜出会い編〜
大野と私の出会いはちょうど一年前。姉が彼氏と共に我が家に連れてきたのだった。
彼氏はよく家に遊びに来たけど、その弟が来た事は今までなかった。
二人はよく似ていた。髪形、髪色、鼻の形、同じ二重……まあ、数え切れないほどに似ていた。きっと弟が大きくなったら、今の姉の彼氏並みにいい男へと成長するだろう。ってか、きっと今でもモテモテだろう。
姉の彼氏さんはカッコイイ。芸能界に居てもおかしくないんじゃってぐらいにカッコイイ。そして、中身も優しくって、本当にいい人だった。我が姉ながら、よくこんな人を捕まえたもんだ。むしろ、なぜ彼が我が姉と付き合ったのかに疑問を持つ。――といったら、姉に回し蹴りを喰らった。……姉さん。我が家系は強い女ばっかり生まれるんだから、もう少し手加減してくれないかな。姉さんは我が家で一番の怪力……じゃなかった、強い女なんですから。
「ほら、華子。彰人の弟くんの幸人君。仲良くしてね」
今更ながら、奴が彼氏さんの弟だと言われたのは、私がみんなに飲み物を出し終わった時だった。まあ、言われなくてもすぐに分かったけどね。……それより、本当は姉さんが飲み物用意しなけりゃいけないんじゃないの?
そんな事を思いつつ、いつもの事なので何も言わなかった。いや、言ったら姉のパンチが飛んでくる。
「よろしく」
弟くんである大野は、そう言って私に手を差し出してきた。人のよさそうな笑顔に私も笑顔で手を握り返した。しかし、何を思ったのか、奴は次の瞬間こう言ってきた。
「『はなこ』なんて古い名前してるね」
手を握り合ったまま、私は固まった。
「……は?」
「だって『はなこ』でしょ?」
「トイレの花子さんとかってみんなにからかわれない?」とか言いながら笑う弟くん。私は自分が怒りで震えているのが分かった。彼の後ろでは彼氏さんがおろおろしているのが目に入ったが、怒り奮闘中の私には、まったくもって関係のない事だった。
私は弟くんににっこりと笑いかける。そして――
「私の名前は『華やか』の『華』だ! 馬鹿野郎ぉぉぉぉぉ!」
握手している手を引っ張って、そのまま背負い投げした。
――それが私達の出会いである。
「あんた、あの頃から何一つ変わってないわよね」
「お互い様にね」
そう言いながら奴は私の作ったおかずに手をつける。ちょっぴりカチンときた私は、自分の箸で奴の箸を捕らえてそれを阻止した。すると奴はほんのりわざとらしく頬を染め、照れたようにポツリと言った。
「これも一種の間接キスだよね」
その時の私の行動は、自分で感心するほどに早かった。
まず、奴の箸を奪って私の箸と一緒に流しに置いて、水を流して軽く洗う。そして、割り箸を探し出して奴に渡し、私の分も取って食事を再開する。その間わずか三十秒。さすがだ、私。
反対に、状況について行けなかったらしい大野はしばらく呆然としていたが、正気に戻ると恨めしげに私を見つめた。私ももう慣れたもので、そんな美形の視線も気にならない。
「華子さんのイケズ」
「名前で呼ぶな」
「華子さんも俺の事名前で呼んでいいよ」
「んな権利、のし付けてお返しするわよ」
「残念」
「そりゃどーも」
もう何度もした会話である。奴は家では私の事を『今村さん』ではなく『華子さん』と呼ぶ。何度とがめてもやめようとしない。なので、今も注意はするにはするのだが、ほとんど諦めている。
ところで、今更であるが、なぜ大野と私が一緒にご飯などを食べているのか。
答えは一緒に住んでいるからである。
勘違いしてもらっては困る。別に変な意味はなく、ただ、一緒に住んでいるだけなのだ。それもこれも、姉のせい。
姉が義兄さん(つまり、大野の兄)と結婚したのは四年前。私の両親は海外で働いており、姉と二人暮らしだったが、姉が結婚してこの家を
出れば、私は十三歳にして一人暮らしという事になってしまう。
そんな私を心配した姉が連れてきたのが、なんと、義兄さんの弟である大野だった。なんでも、大野の両親はもう他界しており、今まで兄と二人暮らしだったが、今回姉さんと結婚するという事で、大野も兄夫婦と住む事になっていたそうだ。しかし、そこで一人暮らしをする事になった私がいたので、『ならいっそ二人を一緒に住ませてしまえば問題がないじゃないか』と考えた姉夫婦は私と大野を私の家で住ませる事になった。ちなみに二人は大野の実家(つまりは大野が元住んでいた家)で仲良く暮らしている。
……こう言うともっともらしいが、実際あの二人にしてみれば、新婚生活に大野が邪魔だっただけだろうと思う。
そんなこんなで今も一緒に住んでいる私と大野。実際大野と住んでみると結構楽な事が多かった。買い物は大野が荷物を持ってくれるし、家事も比較的手伝ってくれるほうだと思う(少なくともあの姉に比べらたら)。布団干しは『大変だから』と言って大野がやってくれる。――案外、大野っていい旦那さんになりそうだな。
そして私は花嫁修業にもなって、家事全般も得意になった。
ぶっちゃけ、得したほうが多い気がする。
だけど、問題がひとつある。
学校の人(特に大野ファン)にこの事がバレないかどうかだ。
絶対バレた日には私の命はない。
よってこの関係は秘密である。
それの何が嬉しいのか、大野は上機嫌に『二人の秘密だね』と言ってきた。……確かにそうなんだけど……なんか違う気がする。
ま、今はバレてないんだから、こんな事考えてもしょうがないか。
そう思い直して再び食事に手を付けようと箸を握った。――が、何か違和感を感じた。
大野を見るとにこにこと笑っている。
何だ?
そう思いつつ、おかずをひとつ摘んで口に運んだ。大野はその様子をまじまじと見ている。
だから何だ?
そう顔に出ていたのか、大野は言った。
「食べたね?」
私はまだ口に食べ物が入っているので、もごもごしながら頷いた。大野は満足そうにそれを見る。
「その箸ね」
「ふご?」
「俺のね」
――吐き出さなかった私を褒めてほしい。
「華子さんがぼーっとしてる間に俺のと取り替えたの」
『割り箸じゃどっちだか分かんないしね』と大野は笑う。私は怒りのあまりに割り箸を割った。それを見て大野はすたこらさっさと自分の部屋へと走っていった。私はそんな大野の背中に声をかける。
「待てこら! 大野ぉぉぉぉぉ!」
そんな私の様子に、満足そうに笑う奴の声が聞こえてきた。
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